たくあん漬けの歴史

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図: 平等院鳳凰堂 

奈良時代 天平年間(729~749):日本での漬物の初見は天平年間の木簡に残されている瓜の塩漬です。

平安時代 十世紀(927):平安時代の「延喜式」に現在の漬物の原形が見られます。

  • 酢漬、醤漬、糟漬、にらぎ   (アオナ、セリ、タケノコなどを楡の樹の皮と塩とで漬け込んだもの)
  • すずほり            (アオナやカブなどを、塩、大豆、米で漬け込んだもの)
  • えづつみ            (カブ、ショウガなど荏胡麻の葉で包み、これを醤に漬け込んだもの)

十世紀(923~930):『倭名類聚抄』に初めて「大根」の名が現れます。

大根の原産地はコーカサス南部からパレスチナにわたる地域であろうといわれています。また、大根は紀元前4000年以前に日本に伝わっていたと推定されています。

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 図: 沢庵禅師

室町~江戸時代(1573~1634):沢庵漬は沢庵禅師が考案したものと伝えられています。

沢庵禅師の墓石(正面幅110cm天地75cmの花崗岩の自然石)が沢庵石に似ていることからその名が生まれたとか、貯え漬けと沢庵漬けの発音が似ていることから名称が転化したという説があります。
禅宗には、中国から製造法が渡来したと思われる大根などの貯え漬けがあり、これは、塩を主体にした、ただ塩辛いだけの漬物でありました。この漬物に米ぬか、甘柿の実などを入れて甘味をつけるなど改良したのは沢庵禅師であると伝えられています。

江戸時代 元禄八年(1695):『本朝食鑑』では、大根の系統、栽培法、産地、利用法、薬効などが詳しく記載しています。

 

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【近年の沢庵漬 昭和10年~現在】

「沢庵漬分類」 沢庵漬、本漬沢庵、本干沢庵(乾燥沢庵)、塩押沢庵(生漬沢庵)、新漬沢庵(新鮮な生漬沢庵)

本漬沢庵とは、塩漬(荒漬)→本漬を経て、最終的な味付けがなされ、樽入り、袋入りされて販売されるもので、選別、洗浄など付随的な作業工程を除いて、最低3回以上の製造工程を経て製品化される沢庵をいいます。 普通、沢庵漬という場合はこの本漬沢庵を指します。

この本漬沢庵は、大根を干してから漬ける本干沢庵(乾燥沢庵)と、生大根をそのまま漬ける塩押沢庵(九州で生漬沢庵、関東ではオッペシ沢庵、関西ではドブ漬沢庵とも言っています。)

新漬沢庵は生大根の持ち味を生かした新鮮な沢庵です。生大根を数日間塩漬し、それを調味加工した後、樽、袋入りされた沢庵です。 大根の乾燥は“タナ掛げ”で行われますが、太陽熱による乾燥より風による乾燥を目的としています。このため乾燥大根の産地は海に面した平野部で風通りのよい場所が中心になり、九州の本干沢庵は宮崎県の日向灘に面した田野、清武、鹿児島県の鹿児島湾と太平洋に面した山川、指宿・頴娃、大根占が中心産地となっています。

 

●昭和10年~20年代:塩押沢庵の誕生、高塩分の沢庵漬、樽詰が主流

戦前の本漬沢庵は、本干沢庵のみでしたが、戦争中の人手不足と霜よけ等の資材の不足から手数の少ない塩押沢庵も研究製造されるようになりました。 昭和15年頃、軍納沢庵にマル公価格が設定されましたが、この価格に合わせた安い沢庵を作るための研究が東京の中野、練馬の業者を中心に行われ、その結果塩押しだけで日持ちが十分あるとして塩押沢庵の形態が登場しました。 戦後も“パリッとした歯ごたえ”を持つ塩押沢庵は順調に製造されるようになりました。

沢庵漬の包装形態は、昭和20年代前半までは木製の4斗樽(75kg中心)に漬け込んだ一丁漬が主流で、昭和20年代後半から2斗樽(35kg)が登場し、その後ポリ樽に代わり型も15kg、10kgと小型化していきます。当時は、樽の中に15%前後の食塩と糠で漬け込んだ糠漬を店頭の対面販売で一本づつ取り出して包装紙にくるんで売っていました。(現在でも樽売りはごくわずかに残っています。)

 

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 ●昭和30年~40年代:漬物工業の近代化、中塩分の沢庵漬、袋詰が主流

昭和30年代初頭の耐ボイル性プラスチック袋の普及、昭和35年には、全自動加熱殺菌冷却装置が開発され、樽に漬け込んだ沢庵漬から小袋詰めの沢庵漬へと変わりはじめました。加熱殺菌装置が活躍するのは昭和40年、漬物の品質管理が叫ばれ出してからのことです。

漬物工場は、樽本漬から2メートル立方、3メートル立方の大型コンクリートタンクヘの本漬となり、天井クレーンの利用、ネットによる大根大量漬け込み方式の導入で飛躍的に近代化しました。

当時の本漬沢庵には、昆布漬、梅酢漬、ふすま漬などがあります。これらは最終段階での漬床、つまり味付けによつて分けられる新しい液漬の沢庵漬です。沢庵漬の塩分も年々下がり昭和40年代後半には7%になっています。

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●昭和50年代~現在:低温本漬の導入、低塩分の沢庵漬、沢庵漬の嗜好食品化

本干沢庵は強い歯切れ、塩押沢庵は壮快な歯切れが特徴で、両者の差は大きく年々塩押沢庵の生産量が伸び、現在では本漬沢庵の7割までが塩押沢庵となっています。

昭和51年頃から醤油風味沢庵が爆発的人気を呼び、昭和54年からはかつお風味沢庵が人気を呼びました。昭和57年は合成保存料、合成甘味料、合成着色料を使用しない無添加ぬか漬沢庵(昭和61年以降は「無添加」表示は使用禁止)が消費者に喜ばれ、かなりの製品がつくられました。 昭和50年代後半から、低塩分でタンクに漬け込んだ沢庵を冷蔵庫(-0°C)で保管する「低温本漬」とよばれる漬け方、タンク味付けで調味液を冷却機の中を通して循環させタンク杓の温度を零度に保つ技術の導入で小袋詰の沢庵漬の塩分は4%以下に下がってきました。

現在では、微生物管理やコールドチェーン、調味液の工夫により加熱殺菌をしないノンボイル沢庵漬がつくられています。沢庵漬は保存食品から嗜好食品へと移行しつつあります。